0) 僕のプロフィール 〜 はじめまして 広瀬哲也です 〜
名 前|広瀬 哲也
(ひろせ てつや)
大 学|早稲田大学出身
出 身|福岡県
趣 味|野球 映画鑑賞
好きな言葉|初心忘るべからず
悩 み 事 |た、体重が〜!!
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1) 勉強と野球と僕 〜 おかん ごめん 〜
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僕が野球を始めたのは小学校4年生のとき。
プロ野球選手に憧れ、甲子園を夢見て毎日野球に始まり野球に終わる毎日。
もちろん、勉強は全くと言っていいほど手付かずの状態でした。
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中学生の頃の成績は、常に下から数えたほうが早く、一けたの点数を取ることも。「勉強できなくったって、死ぬわけじゃない!」反抗期の僕はそう言って、よく母を困らせていました。そんな姿を見て母からは「少しは勉強しなさい!」「あなたの本分は何なの?」と怒られっぱなし。
今思えば、心配が募る毎日だったんだろうなと思います。
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2) 挫折 〜 このままじゃ、行ける高校はないぞ 〜
中2の初夏。
「このままじゃ、行ける高校はないぞ」
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三者面談で担任の口から出た言葉…。
もうダメだ。僕の人生は終わった…。
ショックでした。
なぜなら、ちょうど同じ時期に野球部でも
戦力外通告を受けたばかり。
練習のやりすぎで肘を壊して、レギュラー
からはずされてしまったのです。
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結局、壊した肘の治療を続けながら勉強するも、それまでの遅れはひどく、塾に行ってもチンプンカンプン。姉に頭を下げて教わっても「あんた、こんなんわからんやったら、どっこも行けんよ!」と大ゲンカ。母からも、「うちは私立に行かせる余裕はないけんね」と釘を刺される始末。
「どうせ、やってもムダだ…」そうあきらめかけたとき…!
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3) 出会い 〜 チャンスの女神がやってきた!? 〜
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夏の大会が終わって、3年生が引退、
新体制に伴って、地元大学に通う先輩が野球部のコーチになることに決まりました。
野球のことはもちろん、それ以外にも進路や受験のことまで親身に相談に乗ってくれて、僕たち後輩にとっては大きな力強い存在ができたのです。
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そして!まさか、その出会いが僕の人生を大きく変えることになるとは夢にも思いませんでした!
その先輩が特別に週1回練習の後、勉強を見てくれる事になったのです。
先輩は僕のあまりのできの悪さに少しも驚くことなく「あせらんでいいよ」「前より計算速くなったよ」と、ことあるごとに褒めてくれて、僕も少しずつやる気になってきました。
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また1週間ごとに目標や自分にあった課題やペースを作ってくれたおかげで、目標に向かって、毎日無理せずこなせるようになっていきました。
少し多めにやったりしたのは「お前、すごいがんばるな〜!」と言ってもらえることが嬉しかったからだと思います。
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そして、次第に勉強もわかるところがどんどん増えてきて、これまでの苦痛が楽しみに変わり始めたのです。
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4) 大・逆・転 〜 採点間違ってるんやないと〜? 〜
先輩の教え方が功を奏して、 成績も少しずつ上がっていきました。
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中3の1学期の期末ではなんと、全教科85点以上という快挙を成し遂げることもできたのです。これには先生もビックリ!
母は「採点間違ってるんやないと〜?」と軽口をたたいていましたが、とっても嬉しそうでした。
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その後、みごと第一志望の高校に入ることができ、高校3年間、野球と勉強を上手く両立でき、とても充実した学校生活を送ることができました。残念ながら甲子園は夢に終わりましたが、チーム全体で力を出し切って戦った経験は今も僕の宝です。
先輩との出会いがなければ、全く違う人生を歩んでいたことでしょう・・・。
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5) 二つ目の出会い 〜 あのときの僕と同じだ 〜
その後、大学に入るために一浪しました。
その浪人中に人生を変える出来事が!
ある日、母から「○○さんのところの翔太くん(仮名・当時中3)に勉強を教えてくれない?」と言われました。
過去に人に教えた経験は無し。僕が教えて成績が上がらなかったら申し訳ないし、しかも、受験生は責任重大…。断ろうとしましたが、結局、親の顔を立てて教えることになったのです。
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翔太くんはどの教科も
“どこがわからないかわからない状態”で、
本人もすっかり自信をなくしていました。
うーん、、どうやって教えよう…。
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そのとき、ハッとしたのです。「これって、あのときの僕と同じだ!」
それから僕は、先輩から教わったように焦らず褒めながら一つ一つをわかるまで教えていきました。翔太くんもだんだん学校の授業が理解できるようになって、自信を持ち始めてきました。そうして受験も終わり、見事合格!僕は自分のことのように嬉しく感動しました。
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6) 決心 〜 先生、ありがとう 〜
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最後の指導の日、 「先生、これ…」と翔太くんが手紙を差し出しました。
僕が「なんだよ、近所だからいつでも遊びに来いよ」というと、「言えなかったことだから」と恥ずかしそうに手渡し、「じゃあね!」と飛んで帰っていきました。
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「なんだ、あいつ」(笑)と、手紙を開いてみると…
「先生ありがとう!先生のおかげで高校行けた!なんにもわからなかった僕を先生だけが見捨てなかった。
僕も先生みたいになるって決めた!」と。
なぜか、涙が止まらなくて、僕はそのとき心に決めました。
「将来は人に教える仕事につこう!」と。
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7) 希望 〜 家庭教師グループ発足 〜
その後、僕は早稲田大学に入学。
そして志どおり、あすなろの原型となる家庭教師のグループを発足しました。
「みんなに喜んでもらって、子どもたちの笑顔がたくさん見られるようなグループにするぞ!」と情熱を持った有志を集めました。
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それぞれが過去に勉強で苦労した思いを胸に教える気満々でした。
ここから、すべてが上手くいくはずでした。ところが…。
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8) 悔し涙 〜 しょせん、大学生のバイト 〜
みんなで切磋琢磨し、少しづつグループが成長し始めた頃、
その事件は起こりました。
「しょせん、大学生のバイトじゃない!
こんなことならプロに頼めばよかった!!」
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ものすごい剣幕で苦情の電話が来たのです。
高校受験の大事な試験前、担当家庭教師が風邪でダウンしてしまい、ピンチヒッターで行った仲間が発した一言が原因でした。
「急きょ代理で来たんで、どこからやればいいのでしょうか?」・・・
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・・・・一生を左右するかもしれない試験前なのに、怒られるのも当然です。
“しょせん、大学生のバイト”
その言葉が悔しくて、陰で涙をのみました。
ですが、今思えば、そこから得たものは大きかったのです。
そして、新たなる課題もできました。
想いは同じでも、仲間の教え方がひとりひとり違うことが今回の事件を引き起こしました。
だれもが同じ基準で教えるためには、いったいどうすれば…?
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9) 大変身 〜 壁を乗り越えて 〜
そこから、僕もスタッフも大きく変わりました。
“皆が同じ基準で教えるには、どうしたらいいんだろう”
それまでは、わからないところを教えるという、いわゆる家庭教師としてよくある形をとっていました。
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ですが、それは個人の家庭教師と、なんら変わりない教え方になってしまいます。
そこで、もう一度、原点に帰って、「成績を伸ばすために“本当に必要なこと”は何か?」を考えてみました。 |
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教科書に沿った指導。毎日の予習復習。勉強のやり方をつかむ。
そうです、それが一番大事。
ですが、それだけでは成績は上がらないのです。本人のやる気と、勉強を継続できる力が伴って、はじめて自信につながり、成績も上がっていきます。
そこで、
<1> 現在の進度が把握できる
<2> その時のお子さんの状態が一目でわかる
<3> 苦手な部分・得意な部分が一見してわかる
この3つについて、誰が見てもわかる共通の資料を作成しました。
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それによって、万が一担当家庭教師が指導できなくなった場合でも、円滑に引継ぎができるシステムができたのです。(現在はさらに改良されたシステムになっています。)
そうして、ひとつの失敗がキッカケとなり
『あそこに任せれば安心ね』と言われるまでになったのです。
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その他にも、数々の改良を重ね、お子さんが自分から「勉強って楽しい!」という現象があちこちで起き、当時の「勉強を教えるだけの家庭教師」から「やる気を起こして、継続する力をつける家庭教師」のグループに大変身していったのです!
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10) 変わらぬ信念 〜 あすなろ 〜
グループは数年後、「あすなろ」として、生まれ変わりました。
「家庭教師あすなろ」のモットーは
『お子さん一人ひとりにピッタリのやり方を見つけ出し、
わかるまでトコトン教える家庭教師』です。
お子さん一人ひとり、性格が違うように、勉強の得意・不得意も違います。
もちろん、つまずいてるところや理解度も違います。なので、お子さんの状態をしっかりと把握してお子さん“一人ひとりに合ったやり方を見つけ出す”ことを第一に考えています。
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でも、それ以前に大事なことは、経験者の僕が一番よくわかります。
それは、
自分を信じること…つまり自信です。
本人の良いところを、しっかりと認めて、褒めてあげることが本当に大切なのです。
そうして自分に自信が持てるようにサポートしてあげること。
そう、「やればできる!」と思うことが大逆転の“初めの一歩”なのです。
僕はこれからも、接するお子さんの秘めた力を信じ、それを少しでも発揮できるよう導いていきたいと思います。
あのときの先輩のように。
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具体的に、どんな指導をしているかは、家庭教師の体験授業にてお試しできます(2つのコースからピッタリの体験を選べます)ので、お気軽にご連絡ください。
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